2010年09月15日
★違い をそのまま受け入れる☆
母が両目、網膜剥離の緊急手術をしました。
私は学校の教室の一番後ろの席から
黒板上に掲示してある賞状が読めるほどの視力の持ち主。
目の病気もしたことがありません。
きっとこんな気持ちなんだろうなぁって想像は出来ますが
目が悪い人の気持ちにはなれないし、目が悪い不自由さはわかりません。
退院の際に母と歩き
「わからないかもしれないけど私、目が見えないんだよ。」と母が言いました。
その時に初めて、目が見えないということを意識しました。
玄関の外に出ては、日差しの強さに
歩けば物が見えないことに
車に乗れば、移り行く視界の速さに三半規管が追いつかないのか
気持ち悪くなる
片目はまだ視力がどれだけ戻るかわかりません。
でもスポーツで全国大会に行く事が決まっており
自分はプレー出来なくとも、ベンチに入りたいと痛みと共に過ごしており
母が行かないなら止めると言ってくださるメンバーの方もいらっしゃるそうで
生きがいのある人は強いなぁと関心しております。
病院でも糖尿病で、目が見えない隣の方に看護士さんと一緒に説教していたそうで
おせっかいな程に人を立ち上がらせる力を持つ明るい人。
そんな母に自分が勉強したことをやってみたらどうかと言ったら
「あんたは自分が治してやるっていう先生と同じだ」と言われました。
母が選ぶ 手術し薬を飲む という選択。
母だって不安はあったはず。
痛みを我慢する人だから、緊急手術をする事にもなりました。
彼女の選んだことを否定しているつもりはなくとも
そういう発言をさせたということは、私の伝え方が違っていたのでしょう。
これからこのような場面になった時
どのように相手を受け止め、受け入れ、どのように伝えるのか
母という人を通じ、私のあり方を考えさせられました。
違い を曲がった取り方をして痛みを伴った心の日もありましたが
母という偉大な人に感謝です。
私は学校の教室の一番後ろの席から
黒板上に掲示してある賞状が読めるほどの視力の持ち主。
目の病気もしたことがありません。
きっとこんな気持ちなんだろうなぁって想像は出来ますが
目が悪い人の気持ちにはなれないし、目が悪い不自由さはわかりません。
退院の際に母と歩き
「わからないかもしれないけど私、目が見えないんだよ。」と母が言いました。
その時に初めて、目が見えないということを意識しました。
玄関の外に出ては、日差しの強さに
歩けば物が見えないことに
車に乗れば、移り行く視界の速さに三半規管が追いつかないのか
気持ち悪くなる
片目はまだ視力がどれだけ戻るかわかりません。
でもスポーツで全国大会に行く事が決まっており
自分はプレー出来なくとも、ベンチに入りたいと痛みと共に過ごしており
母が行かないなら止めると言ってくださるメンバーの方もいらっしゃるそうで
生きがいのある人は強いなぁと関心しております。
病院でも糖尿病で、目が見えない隣の方に看護士さんと一緒に説教していたそうで
おせっかいな程に人を立ち上がらせる力を持つ明るい人。
そんな母に自分が勉強したことをやってみたらどうかと言ったら
「あんたは自分が治してやるっていう先生と同じだ」と言われました。
母が選ぶ 手術し薬を飲む という選択。
母だって不安はあったはず。
痛みを我慢する人だから、緊急手術をする事にもなりました。
彼女の選んだことを否定しているつもりはなくとも
そういう発言をさせたということは、私の伝え方が違っていたのでしょう。
これからこのような場面になった時
どのように相手を受け止め、受け入れ、どのように伝えるのか
母という人を通じ、私のあり方を考えさせられました。
違い を曲がった取り方をして痛みを伴った心の日もありましたが
母という偉大な人に感謝です。
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